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(無題)

 投稿者:小田 哲  投稿日:2008年 1月 5日(土)01時06分41秒
  パラグアイでの就職を探しています。  


仕事情報

 投稿者:小田 哲  投稿日:2008年 1月 5日(土)01時05分40秒
  パラグアイでの仕事を探しています。  

日本のテレビ番組がリアルタイムで見られます。

 投稿者:ヨシ  投稿日:2007年 3月31日(土)12時23分44秒
  1ヶ月US$30のみでレンタルサーバーサービスの会員になると東京の民放、4,6,8,10,12チャンネルの番組が世界中どこでもリアルタイムで見られます。
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パラグアイ日系の農業の在りかた

 投稿者:Jorge  投稿日:2005年 9月 2日(金)23時19分56秒
  私は茨城大学農学部修士課程で研究しているパラグアイからの留学生です。

現在パラグアイの日系移住地では、経済的豊かになったものの、現地に対しての
還元(再投資)が十分でない為一つの社会問題につながりつつあります。原因とされ
るのは、現在は、以前と違って農作業に人手が要らなくなったことにあります。その
ため現地の人は日系人に対して不満をいだくようになりました(個人の意見)。これ
は、今まで創り上げて来た日本人のよい印象を破壊しかねません。要するに今までの
生産法は持続型ではなかったということになります。その為、以前のように現地の人
たちを生産システムに再参加させる必要性があります。そこで一つの解決策として考
えたのは有機栽培に向けた生産法です。

現在日本では食品の安全性を重視されています。そこで日本が求める安全な食品
(特に大豆)を今後パラグアイの日系移住地から供給されればお互いの利点につな
がると思います。さらにこの事で地域の活性化にもつながり環境への負担もおさえられ
ることになります。
 
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Hokokukai on Ladakh

 投稿者:Julay  投稿日:2005年 6月30日(木)23時33分7秒
  初夏の候、いかがお過ごしでしょうか。
ジュレー・ラダックは、来る7月3日(日)にスタディ・ツアー報告会および説明会を開催いたします。

先日帰国したばかりの第3回スタディ・ツアー参加者より、6月のラダックでの体験を報告していただきます。
後半では、今年9月に開催される第4回スタディー・ツアーの説明をいたします。
最新のラダックの様子を、写真を交えて報告いたしますので、是非ご参加ください。
皆様のお越しをお待ちしております。
ヒマラヤ山脈の西の果て、インド、中国、パキスタンが国境を接するあたり。そこに、独自の文化を守り続け「リトルチベット」とも呼ばれる“ラダック地方”は存在します。
そのラダック地方と日本との交流を目的に設立された日本で唯一のNGO「ジュレー・ラダック」では、スタディ・ツアー参加者からの最新情報による、ラダックの文化や人々の生活をご紹介する会を開催致します。

併せて、9月1日〜11日に開催予定の第4回スタディー・ツアーの説明も致しますので、ご興味のある方は、是非ご参加ください。
--------------------------------------------
◆ジュレー・ラダック 第3回スタディー・ツアー報告会◆
日 時: 2005年7月3日(日) 14:00〜16:00
会 場: タワーホール船堀(江戸川区総合区民ホール)302室
     http://www.city.edogawa.tokyo.jp/shisetsu/bunka/bunka1.html
     〒134-0091 東京都江戸川区船堀4-1-1 TEL:03-5676-2211 Fax:03-5676-2501
     都営新宿線船堀駅下車 徒歩1分
参加費: 無料
☆席に限りがあるため、下記連絡先まで事前のご予約をお願い致します。
主催・お問い合わせ:
ジュレー・ラダック スカルマ・ギュルメット、大河内美冬
〒131-0013 東京都江戸川区東小松川3-35-13-204小松川市民ファーム内
Tel/Fax:03-3654-9188(Telは火、土、日10時〜17時のみ、Faxは24時間受付)
携帯電話:080-5031-3481(代表 スカルマ、日本語可)
E-mail :julay_ladakh@yahoo.co.jp  julay@edogawa.home.ne.jp
URL :http://members.edogawa.home.ne.jp/julay

http://members.edogawa.home.ne.jp/julay

 

駐日パラグアイ大使に日系1世

 投稿者:管理人  投稿日:2004年 9月22日(水)01時25分9秒
  パラグアイ国を日本において代表する特命全権大使に日系1世の田岡功さんが就任。
中学の時にパラグアイに移住し、ジャングルを切り開いて農業に従事したバリバリの開拓者。ラパス農協の組合長と、ラパス市長を歴任し、日系人社会のみならずパラグアイ人からも人望が厚い。そして現ドゥアルテ大統領は旧知の仲。パラグアイは本当に親日国家です。

http://www.mainichi-msn.co.jp/column/hito/archive/news/2004/09/20040901ddm002070205000c.html

 
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海外日系人の代表

 投稿者:管理人  投稿日:2004年 7月18日(日)14時15分38秒
  パラグアイから初の国会議員候補者として日系ジャーナル高倉道男社長が自民党公認で参院選挙に出馬した。
 今回は達成できなかったが、南米の日系社会から日本と世界に名乗りをあげる人間がでてほしいと思っている矢先、高倉さんの勇気と努力に拍手を送りたい。またがんばってください。

http://www.michio-takakura.com/

 
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高知に来ないか?  

 投稿者:久保  投稿日:2004年 6月16日(水)17時31分37秒
  君が東京に居るとは驚いた、一緒に仕事をしている敬三と玄ちゃんのことをよく話していました。望外の喜びだ、是非君と会って積もる話を飲み食いしながらやりたいもんだ。俺も敬三も益々元気でやっているよ。高知に来ないか?パラグアイでの大嶺先生に教えられて空手をやった事など懐かしく思い起こすよ。空手.の全国選手権大会で二位になってテレビに出演したこと等を昨日のように覚えているよ。俺は今、ホテル業をやっている。俺の隣りで敬三がマグロ漁師はもう、やめたの?と尋ねている。

http://www.losinn.co.jp/

 

還暦過ぎのジジイから一言(9) 

 投稿者:Rick Noguchi  投稿日:2004年 6月12日(土)21時48分12秒
   ドイツ系の『メノニ−タ』がドイツ系二世、ネストロエン氏がパラグワイ大統領時代チャコ地方で綿の栽培を始めた頃に、たしか1960年の前後と思います、エンカルや、アスンションなどで、売春婦を駆り集めて綿摘みに駆り出した話しを聞いた事が有ります。詳しい事は知りませんが、宗教と政治が結託すると恐ろしいと感じた事が有ります、これはアメリカのユタ州に本山が有る、モルモン教も一部、町と市と、州の政治を動かしています。一般的なアメリカの生活形態からはかけ離れた、一夫多妻なども現在でも残しているモルモン教徒が居ます。
 現代の社会からすると、受け入れられない形態も有ります。でも私が感心して、実行して、成果を挙げたのは、パラグワイで見た、メノニータが実行していた、子供のドイツ語教育で毎日、本の1ページを読んで書かないと、夕食を子供に与えないのを見て、それと、子供達が上手ドイツ語を話して、読み書きが出来るのに驚き、『これだ〜!』と心に感じまして、アメリカに永住してから、三人の子供に同じ様な事を6ヵ年続けさせました。

 結果は大成功で、長男は同時通訳のレベルで、後の二人も現在でも日本語を話して、家の中での会話は全て日本語で行なっています、二度ほど夕食をストを起して食べさせませんでした。『アメリカまで来て、何で日本語を勉強しなくてはならないか?』とーー、
しかし大人になって、『有り難うーー、日本語を教えてくれて、』と感謝してくれました。
現在は三人の子供は全部育ってしまい家には居ません、寂しくなりましたが、子供がアメリカと言う大地に根を降ろして育って行くのが良く分かります。
 

まだ生きているのか開拓魂(1)

 投稿者:道場主  投稿日:2004年 6月12日(土)21時44分22秒
   南米に農業移住して、原始林を切り開き、手作りで掘建て小屋を建て、井戸を掘り、かまどを作り、はじめは川から魚を釣ってきたり、家の周りに現れる鹿や山豚を銃で撃って食べ、畑を耕し、家畜を飼い、飼料袋の生地を使って作業服を作ってみたりと、衣食住を自分で揃え、生活環境を整えていく暮らしは、日本で文化生活に馴染んできた者たちにとって、肉体的に大変でした。しかし、それがその後の人生を楽に、充実したものにしてくれたのではないかと思います。
 開拓は私にとってサバイバルの学校でした。土地さえあれば人間は暮らしていける。自然があれば食べていける、といった生き方の原点を学びました。今でも仕事に将来性が見えなくなると、また中南米にでも土地を見つけてまたやり直そうかと気軽に考えられる気楽さがあります。 
 私が南米で出会った逞しい人間には、ドイツ系、ロシア系、ユダヤ系、中国系、アラブ系といろいろな民族、人種がいましたが、どんな苦境に置かれてもまたやり直せばいいというプラス思考をもっていました。
 その中で、ドイツ系の「メノニータ」と呼ばれる宗教グループ移民の人間がいて、彼らは徹底した平和主義と聖書主義キリスト教信仰を実践できる社会をつくろうとするために、兵隊には出ないとか、教育はドイツ語で聖書を教科書にするとかいった特殊な主義を貫く為、弾圧を受けたりします。彼らは兵役免除やドイツ語教育の自由が与えられる地を求めて、ロシア、カナダ、アメリカなどに移っておりそれらの地で堅実な農業生産を営み平和な社会造りしていますが、それでも差別や信仰の自由に規制をつけられたりすると別な新天地を求めてメキシコやパラグアイに移住してきた開拓魂の究極な手本を見せられました。彼らの信仰のこだわりは置いておいても、どんな厳しい条件の土地でも豊かな畑に代えてしまう開拓能力は感心させられました。

 開拓も移住も、先駆者や先輩たちの経験から学ぶことは重要だと思います。私の父も日本で2度開拓をやっていたので、開墾にも生活にもゆとりがありました。厳しい農作業に明け暮れながらも、音楽、読書、伝統舞踊の練習などの楽しみがありました。開拓経験がある人間は日本人移住者の中では少なく、初めての開拓ではみんな無我夢中でがんばるしかないのですが、近くのメノニータ移住地の暮らしは経済的には同じでも、生活に余裕とゆとりが感じられました。

 また、うちの農場の隣は、当時「那須構想」と呼ばれた数万ヘクタールの大型農業投資事業の牧場がありました。たしかそこの支配人は吉崎さんという人だったと聞いております。大変経験豊かな人で仕事でも暮らし方でも余裕をもっていました。今その牧場は、上島コーヒーカンパニー(UCC)が所有する牧場になっています。 また同地区内でもう少し離れたところには、東京農大出身者たちが作った共同農場「杉野農場」がありました。尊敬する杉野先生を記念して作ったと聞いておりますが、現在ではそのメンバーは全員独立してそれぞれ現地において活躍されています。

http://www.geocities.com/genitolat/Survivordojo/utopia11.html

 
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