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南米に農業移住して、原始林を切り開き、手作りで掘建て小屋を建て、井戸を掘り、かまどを作り、はじめは川から魚を釣ってきたり、家の周りに現れる鹿や山豚を銃で撃って食べ、畑を耕し、家畜を飼い、飼料袋の生地を使って作業服を作ってみたりと、衣食住を自分で揃え、生活環境を整えていく暮らしは、日本で文化生活に馴染んできた者たちにとって、肉体的に大変でした。しかし、それがその後の人生を楽に、充実したものにしてくれたのではないかと思います。
開拓は私にとってサバイバルの学校でした。土地さえあれば人間は暮らしていける。自然があれば食べていける、といった生き方の原点を学びました。今でも仕事に将来性が見えなくなると、また中南米にでも土地を見つけてまたやり直そうかと気軽に考えられる気楽さがあります。
私が南米で出会った逞しい人間には、ドイツ系、ロシア系、ユダヤ系、中国系、アラブ系といろいろな民族、人種がいましたが、どんな苦境に置かれてもまたやり直せばいいというプラス思考をもっていました。
その中で、ドイツ系の「メノニータ」と呼ばれる宗教グループ移民の人間がいて、彼らは徹底した平和主義と聖書主義キリスト教信仰を実践できる社会をつくろうとするために、兵隊には出ないとか、教育はドイツ語で聖書を教科書にするとかいった特殊な主義を貫く為、弾圧を受けたりします。彼らは兵役免除やドイツ語教育の自由が与えられる地を求めて、ロシア、カナダ、アメリカなどに移っておりそれらの地で堅実な農業生産を営み平和な社会造りしていますが、それでも差別や信仰の自由に規制をつけられたりすると別な新天地を求めてメキシコやパラグアイに移住してきた開拓魂の究極な手本を見せられました。彼らの信仰のこだわりは置いておいても、どんな厳しい条件の土地でも豊かな畑に代えてしまう開拓能力は感心させられました。
開拓も移住も、先駆者や先輩たちの経験から学ぶことは重要だと思います。私の父も日本で2度開拓をやっていたので、開墾にも生活にもゆとりがありました。厳しい農作業に明け暮れながらも、音楽、読書、伝統舞踊の練習などの楽しみがありました。開拓経験がある人間は日本人移住者の中では少なく、初めての開拓ではみんな無我夢中でがんばるしかないのですが、近くのメノニータ移住地の暮らしは経済的には同じでも、生活に余裕とゆとりが感じられました。
また、うちの農場の隣は、当時「那須構想」と呼ばれた数万ヘクタールの大型農業投資事業の牧場がありました。たしかそこの支配人は吉崎さんという人だったと聞いております。大変経験豊かな人で仕事でも暮らし方でも余裕をもっていました。今その牧場は、上島コーヒーカンパニー(UCC)が所有する牧場になっています。 また同地区内でもう少し離れたところには、東京農大出身者たちが作った共同農場「杉野農場」がありました。尊敬する杉野先生を記念して作ったと聞いておりますが、現在ではそのメンバーは全員独立してそれぞれ現地において活躍されています。
http://www.geocities.com/genitolat/Survivordojo/utopia11.html
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